会長挨拶
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前原 慈朗 |
広島県神石郡神石町(現在の神石高原町)で父の跡を継いで開業していたのを、一念発起してこの地に移転開業したのです。
当時福山は日本鋼管の操業で各地よりぞくぞくと工員が入市して来て人口は急増しつつあった。工場の操業により空気汚染は著しく、福山喘息といわれるくらい小中学生の喘息が多かった。大人は過労と飲酒などにより患者が多かった。病室も利用率は高く、外来も多忙であった。
こんな状態が10年も続いて日本鋼管も公害に対する改革を大々的に実行されて昭和55年頃より空気がきれいになり、入院患者も外来患者も減少した。昭和59年に後継者(長男)が研究を終えて帰ってきたので施設を整備して21床の病院とし、ついで平成元年組織を医療法人慈生会とした。そして平成4年病棟を増築30床とし、長男に院長を譲った。
大正生まれの私には医学の進歩の著しさに付いて行くのは厳しいが、私に診療を求めてきてくださる患者さんがあり、からだの続く限り勉強して地域のお役に立ちたいと思います。
よろしくお願いいたします。